さんぱちとパニック障害
初めまして。さんぱちと申します。
blogを始めてみようと思い立ち
日記感覚かもしれませんが
似たような苦しみを感じている人へ
少しでも届く物があればいいと思っております。
そして本日、2月16日。
さんぱちは復職しました。
時短勤務ではありますが…
少しずつ人生の歩みを動かした自分の中では大きな1歩を踏み出した日です。
このblogは1人のおじさん福祉人がきちんと社会復帰を果たすまでの奮闘記となることを自分でも期待して…苦手な文字を紡いでいきます。
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昨年2021年8月某日。
とある高齢者福祉施設で働くさんぱちは役職者でありながら、介護人員の不足により夜勤勤務中でありました。
午前4時。猛烈な吐き気を感じた。
数年前…十二指腸潰瘍という病気を患ったときの吐き気に近いものがあった。
仕事がらか…バイタルをとり、水分を摂ろうとしたところ右手が上手く使えないことに気付く。
次第に左手、右腕、左腕、胸、腰、大腿部、脹脛、足首とだんだんと身体が硬直しているのを感じた。
「あぁ。俺は脳梗塞でも起こしたのか。子ども達はまだ小さいのに…」とやけに冷静に考えていたのを覚えている。
しかし、身体の自由が奪われていく恐怖。
自力で呼んだ救急車が到着した頃には声を発することすらできない状態だった。
病院へ運ばれてMRIやCT、採血などなど検査に検査を重ねて落ち着いたのが朝8時。
医師の口からは「特に悪い所はなかった。症状は過呼吸だね」とあっさりと言われた。
右手の小指の感覚は戻っていなかったが
ストレッチャーで入った病院を歩いて帰ることができるほど数時間で回復していた。
そこから慢性的な吐き気を堪えながら仕事をこなし休みをとっては様々な病院へかかる日々が始まる。脳外科や神経内科にまで受診してみたが異常は見当たらなかった。
担当医の言葉を今でもはっきり覚えている。
「精神科に受診をしてみないか?」
ショックだった。
俺が?まさか?福祉の現場でバリバリやってきて数年前からは管理側に回っても現場を引っ張ってきた…俺が…精神科…。
邪魔だったのは小さなプライドだった。
そこから約1ヶ月。
家族や医師からの説得が勧められ
9月中旬に初めて精神科を受診した。
この頃には仕事もできないほどの吐き気が1日中続き、起き上がることさえできない日もあった。
精神科の医師はパソコン画面を見ながら一言。
「適応障害、パニック障害だね。少し鬱傾向だけど鬱は入れないよ。診断書を出せばいいのかな?」
…もう…どうでもよかった。
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病気を受け入れられないさんぱち。
それでも時系列を今日に戻すと…
半日の仕事をこなして帰ってきたんです。
明日からも仕事は続きます。
復帰の様子や発作と闘ってきた闘っていくこれからのことをblogに残していきたいと思います。
パニック障害になったから出会った趣味。
カメラと写真。
初心者の下手くそな写真ですが毎日お気に入りを1枚残していきます。
こんなさんぱちですが…
もしあなたの目や心に留まることがあれば
そっと寄り添うように読んでみてくださいね。
これからどうぞよろしくお願いします。
今日の写真はサザンカの落ち花を1枚。